光森裕樹


ぼくは流す
やさしいオンガク空のほう
人生のリセットボタンをおすとき

今橋愛『O脚の膝』(北溟社:2003年)


(☜6月7(水)「生きると死ぬ (2)」より続く)

 

◆ 生きると死ぬ (3)

 

上の句の「ぼくは流す/やさしいオンガク空のほう」は、日常的な言葉に直すならば「ぼくはやさしいオンガク[を]空のほう[へ]流す」となるのだろう。短歌の定型に納める過程で、語順が変わったり助詞が省かれたりしたことで、一首にたどたどしさが感じられ、そこから主体が幼い存在であるかのような印象が生じる。
 

同じ効果は、「音楽」が「オンガク」と表記されていることからも生じているのかもしれない。さて、私達が知っている「音楽」と一首に書かれた「オンガク」は全く同じものなのだろうか。そんな疑問も浮かんでくる。
 

人生のリセットボタンをおす。それは例えば、誰も知らないようなところへ心機一転引っ越すということではなく、まるでゲームや絵本の中のように、何度でも人生をやりなおせる世界であると主体が信じているものとして、読んだ。一首全体のやわらかい雰囲気から考えると、何か苦しいことがあってリセットするのではなく、異なる人生のまた新しい楽しさを体験するためにリセットするのではないだろうか。
 

前回の、嵯峨直樹の一首「髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた」では、傷ついたままの人生をやり直せることなく生きていくことが前提とされていたが、今橋愛の歌では「リセット」することができる。人生がリセットできるということは、人生が永遠に続く(続けられる)ということでもある。一首の中に、同じく「空」が登場する点も面白い。
 

オンガク再生機のスイッチを押す。
――ポチッ
 

人生のリセットボタンを押す。
――ポチッ
 

人生がリセットされるときの、BGMのような「オンガク」を自ら流す。それは、何度も同じことを行ってきた聖なる儀式であるかのようだ。
 
 

(☞次回、6月12(月)「生きると死ぬ (4)」へと続く)