みづからの雨のしたたりにあぢさゐの花は揺るるにおのおのにして

岡部文夫『雪天』(1986年・短歌新聞社)

 

梅雨入りとなった。紫陽花が街角に咲き、見るたびにわずかに色を変えてゆく。紫陽花は変節をあらわすとして厭う向きもあるが、憂いを帯びて静かな落ち着いた気分をただよわせ、歌のよき素材となっている。

 

雨滴がしたたる度に花毬が揺れる。「おのおのにして」の自在が一首の読みどころ。雨滴のしたたりを花毬の揺れでとらえ、結句に老いの心象を重ねている。紫陽花のたたずまいに、あるがままの自然を映し、このようでありたいという願いを述べている。一首には終止形がなく、ふわりと宙に浮いてとりとめのない気分がこもるようだ。

 

『雪天』は、北陸の厳しい風土とそこに貧しく活きる人々を歌った一冊。郷土への渾身の思いである。標題のとおり、歌世界は雪ばかり降っている。

 

応召の馬を日に日に送りしか越後の峡の雪のふぶきに

飢えの日に乞食こつじきのごとあしらひし能登の農どもを今に憎むに

夜天より炎の上に降りくだるはげしき雪をみつつゐたりし

 

くぐもって低い声ながら、澄んだ目にとらえた故郷の風土に、洗いざらしの木綿のような感触がある。