寒あおぞらかぎるもの見ずたかひかる米軍制空権のとうめい

大井学『サンクチュアリ』(2016年・角川書店)

 

昨日、6月23日は沖縄慰霊の日だった。太平洋戦争で市民を巻き込んでの地上戦が繰り広げられた沖縄で、実質的な戦闘の統制が解かれた日である。新聞やテレビのニュースでは特集もあったが、概して表面的な印象だった。米軍基地問題を抱えたままの沖縄を、あまり目立たないようにという意志が、どこかにあるような気がした。

 

この歌はとくに沖縄を題材にしているのではないが、現代日本において、見えないものを見る必要を考えさせる。報道のうしろには、生々しく繰り広げられる現実があり、目に見えない力がそれを統括している。見えない力は、推測し想像し考え続けることによって、そこに立ち現れるが、それだけでは時間の流れに押し流されてしまう。それはさらに、表現する主体をもたなければならない。『サンクチュアリ』は、その表現主体が明確で、現代日本の状況への批評性がとても高い。あらためて表現と勇気について考えさせられた。

 

負ケ犬ニナルナとばかり教えられ負ける強さを知らずに育ち

「統制」という語に拒否感なきひとのめがねぺたぺた指紋つきおり

辞表を出す部下の伏目を見ておりぬ「驚く上司」という役目にて

 

まっすぐに社会状況へ向けられた鋭い批評眼は、サラリーマン社会に身をおく自分自身にも、同じように向けられており、甘い人情や自己弁護に流れることがない。表現者としての、そのような公平な認識と姿勢が、人間すてたものじゃないなあと、あたたかい感動を覚えさせる。