息子とは見るものが違い朝雲のバックミラーを俺は動かす

佐佐木幸綱『ほろほろとろとろ』(2014年・砂子屋書房)

 

歌集標題の「ほろほろとろとろ」は、種田山頭火にちなむ言葉で、「自然体、あるがままの表現」のニュアンスをもつと「あとがき」にある。なるほど、たいへん読みやすい一冊である。けれども、自然体だからといって勝手気ままなわけではない。自然体でいて、独自の歌世界が広がる。若い頃には「日常から離陸し、意志的な日本語の表現をめざした」柿本人麻呂の作歌姿勢に共鳴したと、これも「あとがき」で語る。離陸や意志的表現を経験したところに生まれる、スケールの大きさが魅力だ。

 

歌を写し取りながら、新仮名遣いであることにあらためて気づいた。1938年生まれの作者だが、この世代で新仮名遣いを貫いている歌人は、そう多くないのではないだろうか。口語と文語の混淆も違和感がない。

 

掲出の歌は、父と息子の男同士の関係が歌われているが、父と娘、母と息子ならば全く違って、こうはならないなあと思わせる。特徴は対立的な距離感だと思う。父には父、息子には息子の、それぞれ独自の視界があり、それでなお、読後には信頼感が残る。

 

息を吸ってそのままとめて花びらを散らさぬ桜、犬と見ており

大いなる鰤の首いな襟に刃を入れんと重き出刃下ろすなり

ライン川の岸の青草食う羊三百ほどか 三百の白

 

端的率直で力強く、包容力があって明るい。