さかいめのなき時を生きゆうらりと瞳うるわし川底の魚

東 直子『十階』(2010年・ふらんす堂)

 

本来、時間に境目はないのに、人間は、無駄なく合理的に生きて行くために、いろいろな境目をつくる。いったん出来てしまった境目は、無視しがたく、こだわりができる。便利ではあるが、反面とても窮屈。第四句の「瞳うるわし」は、賢しらなこだわりを持たない澄んだ目をいうのだろう。自然界に生きるものたちは、たしかに時間の流れに境目などつくらずに生きている。

 

この歌には次のような詞書がついている。「7/9 午前五時。清らかな水がとめどなく流れる川を、つり橋でわたった」。「ゆうらり」は、吊橋をわたったときの体感と呼応している。水の流れのままに生きる魚の融通無碍を、ちょっと想像したのだろう。

 

この感覚が、作者の資質を感じさせる。押しつけがましくもなく、詰まらなくなく、言葉にすっと寄り添う。サティの音楽のようだと、いつも思う。著作である小説『とりつくしま』を読んだとき、内容もさることながら、言葉の歯触りが実に心地よかった。

 

疑似家族疑似友達でかまわない南から吹く風を受けてる

宿るもの知りて怖くはなかったか秋の海より濃い青を着て

ふたたびは踏まない道に大切な記憶あずけるためにくる夜

 

知らず知らずのうちに自分の中につくってしまった境目を、少しの間、忘れてみようという気持ちになる。