さそはれて窓より首を出すときにみじかすぎたり人間の首

西村美佐子『猫の舌』(2005年・砂子屋書房)

 

外から誘いの声が聞こえて来る。「遊ぼうよ」とか、「散歩にいかないか」とか、「花がきれいよ」とか。誘う声は、気持ちを外へ向けるきっかけ。窓から顔を出すとき、心はグーンと声に近づいてゆく。けれども、心のままに体を動かそうとすると制限がかかった。思いのほか首は短かったのである。そこで、ああ、人間の首はキリンや馬のように長くはないのであると、認識が生じた。

 

人間の首の長さを知らぬ人間はいないが、わたしたちはそれを当たり前のこととして生きている。認識をうたったこの歌の面白さは、与えられた情報をもとにした認識ではなく、無意識のうちに動いた体の行為によって生まれた認識だということである。無自覚な常識が経験となったといえようか。結句、「わたしの首」といわず、「にんげんの首」という。短歌(=言葉)を自意識の縛りから解き放とうとするかのようだ。

 

七月の空の高さにさはさはと川の流れのひらがなの文字

巻き尺がありてしゆるしゆる伸びてゆく巻き尺はまんなかを狙ふ

翻りふりむく形態にかあてんのせつぱつまりたるひとゆれ

 

自意識が外部に触れて動き出す瞬間を見ているようだ。新しい発見が、言葉に開放感をもたらす。読む側の気持ちも広々と解き放たれる。