連結して貨車降りるときこはばりし指のはずれずふる雨の中

御供平佶『河岸段丘』(1974年・新星書房)

 

わたしはJR高崎線の沿線に住んでいる。近年の高崎線は何かというと信号機故障や人身事故で遅延がふえた。乗客であるわれらは、「またかあ」と舌打ちをする。そうした乗客の向こう側に、駅員、線路守備員、救急員などの緊急出動があることを、つい忘れがちである。

 

掲出の歌は、一般の乗客がなかなか知り得ない操車場内で働く鉄道員の姿である。感情を抑えた写実の筆致が生々しく、緊迫感にみちている。貨車の連結の歌では佐藤佐太郎の【連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音】がよく知られているが、それとは対照的な立場、すなわち直接、貨車の連結にたずさわる現場からの歌である。

 

作者は、当時の国鉄に勤務し、1963年に貨車の連結手として田端駅に配属された。日本社会が、翌年に催される東京オリンピックを前に湧き立っていたときだ。1970年には大阪万博が開催されるという、上り坂の高度成長期である。20代の青年の歌は、そのような風潮に遠く、連結手としての勤務をまっとうすることに懸命だ。現場は苛酷だが、ひたむきさが、労働の意義をつよく感じさせる。

 

灯のかげに雪はなやかに流れゆく線路を歩む貨車つなぎ来て

地下足袋に荒縄を巻く足のあと雪に凍りてのこるわらくづ

線路より重たき骸かかへあぐ今のいままで生きてありしに

 

作者は、後に鉄道公安官となったが、国鉄解体によって転職した。国鉄時代に上梓された歌集4冊をコンパクトにまとめた『御供平佶歌集』(ながらみ書房)が先ごろ刊行され、身近に読めるようになった。日本の高度経済成長期の労働現場を歌い残した貴重な声である。