卓上に綿棒いっぽん横たわり冬の陽射しに膨れはじめる

後藤由紀恵『ねむい春』(2013年・短歌研究社)

 

綿棒は、「横たわる」というほどたいそうなものか。それが「膨れはじめる」とはどういうことか。立ち止まってちょっと考える。しーんと静まった部屋に、作者は、たぶん一人で、じいっと一本の綿棒を見つめているのだろう。もちろん、綿棒について考えているのではない。心に鬱積する重いものがあるのだ。その核心的話題に触れることなく、抱え込んでいる重さを形象化しようというのが、「横たわり」「膨れはじめる」だろう。

 

そういわれてみれば、人は、思索にふけるとき、物思いに沈むとき、些細な物事に意識を集中させるものだ。冬の淡い光のせいか、押しの強い歌ではないが、意識の在り方によって像が膨張するという着目が印象に残る。この歌に続いて【ちちははの家にはわれの部屋もあり机の上にミシン置かれて】がある。

 

情緒安定長女気質のわれなれば どこで泣いたらよいかわからぬ

「しょんしょんと歩いていたね」弟の内なる祖母よしょんしょん歩け

緋の色の皮手袋のうちがわに指先の知るくらやみがある

 

これらの歌には、大きな物語の劇的な展開を排して、家族の心理をえがく、たとえば是枝裕和監督の映画を見ているような味わいがある。「情緒安定長女気質」をもてあましながら、静かに自己の内側をみつめ、人生の方向を探っている。短歌の技法に先んじて、自己の裡に生起する感情や感覚に忠実に言葉を発していると思わせる点、肌触りが柔らかい。