硝子戸の外にて雨はふるとみえず梅の葉が昏くぽつりぽつり動く

栗原潔子『栗原潔子歌集』(1958年・短歌風光社)

 

栗原潔子は、1913(大正2)年に竹柏園に入門し、佐佐木信綱に師事した。歌集に『潔子集』、『寂寥の眼』があるが、この2冊からの抄出歌とその後の作品を、まとめて1集としたのが『栗原潔子集』である。大正2年は、若山牧水の破調作品をめぐり論争が起きた年であった。「心の花」の若手にも新しい短歌形式をめぐって、さまざまな試みがなされていたようで、『潔子集』には、そのような時代を映し次のような調子の歌がいくつも見える。

 

とざせる心をいだきもだすごと樫の樹のたてるはさびし

鳴きつくし落ちたる雲雀はいづくぞひろくただあをし麥の畑

 

作者は文体に意識的である。歌われた「とざせる心」の寂しさ、「ひろくただあをし」という憧れは、その後の作者の短歌世界を貫くことになる。

 

掲出の1首は、戦後の作。室内から硝子戸を通して見える景に、雨が降っていることを知るのだが、雨脚が見えるのではなく、梅の葉の動きによるのだと認識する。「ぽつりぽつり」が、目で認識される雨が、音の感触に変換されているような気分をもたらす点に注目したい。わたしたちは案外、このように、視覚とも聴覚ともしれぬ共感覚を味わいながら暮らしているのだろう。

 

何と知らぬ閃光のもと一瞬に異形のちまた血しぶくといふ

泰山木のましろ大花みだれむとして咲きたもつしばらくの間

 

短歌的な調べと抑制された知性が読みとれよう。栗原の主宰した歌誌「短歌風光」で、『とこしへの川』で注目された竹山広が育てられたのも頷ける。