鉄くろがねと陶器と硝子と風鈴三つおのづから鳴りおのがじし鳴る

都筑省吾『都筑省吾全歌集』(1989年・短歌新聞社)

 

「都筑君は物慾極めて少く、名誉心に刺戟せらるる如きことは全くなく、ただ広き意味の文芸の一使徒として、人生の寂寞と孤高とを調摂して清浄なる一境を生み、その中に安住するの人なり」と、窪田空穂は、都筑省吾の第一歌集『夜風』の序文に述べている。空穂門下の同人誌として出発した「槻の木」を主宰した人物である。

 

おおよそ70年の作歌において時代ごとに詠風の変化はあるものの、日常の些事を平明に歌いながら人の心の微動をとらえ続けた。掲出の歌は晩年の『星の死』より引いた。【風鈴三つ台所の窓際に吊るしたりおのもおのも揺れおのもおのも鳴る】に続いて置かれ、「風鈴三つ」の素材の違いを楽しんでいる。下町情緒的な風鈴の趣はもちろんだが、鉄の音、陶の音、ガラスの音のそれぞれの質感を堪能している。下句は、風鈴の音色を言いながら、もちろん短歌創作における個性を愛でているのである。

 

近年、市街地に並びたつマンションでは、風鈴をベランダに吊るすことが禁じられているという。音は聞く人によって雅趣ともなり、騒音ともなるわけだ。夏の風物詩と考えられてきた風鈴の風情は、開け放った戸口からの涼風を待つこころである。締め切ってクーラーを効かせた部屋では、風鈴も郷愁の中にのみ鳴るようになったのかもしれない。

 

抜身の大刀硝子戸の中に凛乎りんこたり少女等三人みたり前に佇む

歌はこれ事柄にあらずしらべなり事柄はなべてしらべに存す

ありのままを詠むが歌なりありのままは二つはあらずそのありのまま

 

歌に展開された歌論は、一つの態度であり、事柄重視の歌への批判でもある。