口ふれし水の感じをたもてれど離さかりきていまとほき粗沢あらさは

遠山光栄『褐色の実』(1956年・第三書房)

 

他の歌に「粗沢」は蛇骨川だと歌われている。箱根の宮ノ下をながれる早川の支流である。自然の渓流を渡り、山道を散策した折の様子が歌われた「激ち」一連の中の一首。宿に帰った折に今日の行程を反芻している。「粗沢」は、固有名詞ではなく、人の手の入らない自然のままの沢の意味。

 

渓流の水を掬って口に含んだのだろう、口がまだ、そのときの「水の感じ」を覚えているという。ふだん、美味いとか不味いとかいう水の味は、言葉で他に伝えるのが難しい。水自体の味ももちろんだが、水の味には、環境や温感や体調などが複雑に入り交じって感じられるからだ。この歌は、触覚の記憶から一日歩いてきた体の、心地よい疲れを味わっているのだろう。「ああ、よく歩いたなあ」と、沢の流れを思い浮かべるときの息づかいが、柔らかく懇ろに感じられる。

 

やがてわが頭蓋も浸りゆくべくてくらきなかより水のおとたつ

インク壺を机のうへに置きなほすわが手より夜のおとたつに似て

硝子窓へだててしぶく雨の音よくきけば遠きあたりにもする

 

『褐色の実』には、音に耳を澄ましている作者がよく出てくる。視覚より聴覚によって物事をとらえてゆくタイプであることが、身体性をつよく感じさせる。