いひたいことに突き当つて未だ知らない言葉子はせつなげに母の目を見る

                        五島美代子『新輯母の歌集』 (1957)

 

 自然に言葉をあやつっているわれわれであるが、もちろん、その語彙も文法も生まれた当初から備わっていたものではない。

 ある学者によれば、人間は脳に言語習得装置(LAD)なるものを持って生まれてくるという。

 そんなことを言われなくても、人間が徐々に言葉を覚え、使ってゆく過程は神秘的である。

 

 気持ちがあってもそれをうまく言葉で表せないもどかしさは、大人にもあろう。大人とは、それをなんとかして言語化し、つまりごまかしてゆく方法を身に着けている人のことかもしれない。

 

 だが、もっと原初的な感情さえも、小さい子供は表せないことがある。表せていない、と感じられるのは子供の近くにいる親だからだ。

 それはこの世界への壁であり、必死に乗り越えようとすることを通して、大人になってゆく。まだ大人になれないことをみづから知った子供の目だから、せつないのだ。

 しかし、だからこそ、子供は輝いているともいえるのかもしれない。

 この子は、長女・ひとみ。

 のちに23歳で急逝することを知っていれば、読者はもう一歩深い「せつなさ」を見てしまう。

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