ここからは聞こえない音たてながら重機は動く雨の地上を

魚村晋太郎『花柄』(2007)

 

 魚村晋太郎の中には、感情の起伏がねっとりとして、熱の無い炎を見せられているような歌がある。静かで硬質でひんやりとしながら、現実の物の存在感が濃いのだ。

 これも、超短編の一行の小説のように完結しているとも言えるし、長い長い映画の心理描写の一シーンを切り取っているとも言える。

 

 普通ならば、「たてている音が聞こえない」と描写してしまうところ。この歌では、聞こえていないながらも音が聞こえているという、二重構造の不思議さがある。見せ消ちの手法といえるかもしれない。

 

 建物の中から少し離れた工事現場を見ているのだろうか。

 重機は作者とはまったく関係ない世界で、見られていることなど意識せずに動いている(動かされている)。

 一方、作者はその重機を盗み見るように見ている。

 両者のつながりは、見る/見られるだけである。重機の特徴である騒音が消されてしまっているところに、不思議な欠落感がある。

 そこが、熱のない炎と感じるゆえんだろう。

 つながっていないようでつながっている世界。つながっているようでつながっていない世界。

 なんでもないところに詩を成立させている力技に驚くのである。

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