春靄に濃くつつまれてうづくまる翁は抱けり零の明るさ

前登志夫『野生の聲』(2009年)

 

 

・春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ     前川佐美雄

 

ほぼ70年前につくられたこの歌が、意識の底にあったろうと思われる。
前登志夫は、この佐美雄のうたについて「大和の実景と本質を一言にしてとらえ、同時になにも見えないという覚醒において原郷を見ているのであり、記念すべき自己発見を遂げた趣がある」(『前川佐美雄<観賞・現代短歌1>』伊藤一彦著より孫引き)と述べている。

 

前は、靄のなかにある、「翁」の内をうたう。「うづくまる」には、胎児を思わせるその姿勢から、生の初めへかえるような感じがある。とともに、なお生きてあるものの苦がかすかに滲んでいるのかどうか。

 

胸に零を抱くということ、それは「私」をなくしゆく豊かなあかるさなのだろう。
靄に「濃くつつまれて」無となりゆく「私」は、やがて靄に同化するだろう。それは佐美雄のうたった「原郷」、「自己発見」へ同化することでもあるのだろう。

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