薄日さす午後の階段しおからい耳たぶを持つあなたとのぼる

中沢直人『極圏の光』(2009年)

耳たぶの味を知っている、いっしょにいるのは、そういう人。
二句目までの外の世界の描写と、「しおからい耳たぶ」の内的な感じ。その混ざり具合による世界の陰影のつけ方が魅力的。

外にひろがっている世界、恋人もまたその一部でありながら、同時に〈わたし〉の内にくぼむように在る何かである。今は「味」の記憶として。

「しおからい」というのがいい。人間の肉体って、そもそもそんなものだろう、という以上に、この二人のありかたを微妙に伝えてくるところがある。なんというのだろう。からいけれどあまくて、でもどこか冷えているような……。醒めているような、でも深い。

午後はいわば下ってゆく時間。
そんな時を二人は上ってゆく。
あわい陽ざしのなか。
どこへ?

人間の内側と外側が、何かやわらかく押し合いながら、どこへともなく時は流れてゆく。

「薄日さす午後の階段しおからい耳たぶを持つあなたとのぼる」への2件のフィードバック

  1. しおからい耳たぶ、が決め手のこの歌、見事に読み手の心を掴みます。「しおからい」はいろいろな意味にとれます。恋人の耳たぶが実際にしおからかった記憶かもしれないし、つい先ほどなめたのかも知れない。また、自分の傍で、確かに生きている、熱い血潮の流れる生身の女性に、心で感動しているのかもしれない。「のぼる」で、ふたりの関係がとてもいいものだとわかる。「薄日さす午後」なんて、どうでもいいのです。

    1. コメントをありがとうございます。そうですね、「しおからい耳たぶ」がやはりこの歌のキーですよね。でも「薄日さす午後」の効果も味わいたいと思います。

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