父母はなく君なく子なくひとりなる実感もなし春ふかきかな

草田照子『聖なる時間』(2009年)

 

 

大切な「君」を失っての歌である。
父、母はすでに世になく、子供ももたなかった。
いま、「君」をなくして、ひとりきりになった。だけどその実感さえ、まだもてないという。

大事な人をなくし、そのことを残ったものが受け入れるまでには、こんな浮遊感のなかをただようような時期も通過せねばならないのだろう。

 

三度目の「なく」までは、小刻みに、はきはきと運ばれるが、「ひとりなる実感もなし」は、すこし伸びた感じで四句へまたがり、そして「なし」と終止形でもって切られる。
この、伸びた音の感じが、なんともたよりなげで切なく、それまでの三回の「なく」でうたわれたことが紛れもない事実であるにかかわらず、それを受け入れきれない気持ちが伝わる。

 

「春」は、そのような気分を不思議なぬくみで包む。

最後の詠嘆がまことに深い。

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