藤原龍一郎『東京哀傷歌』(1992年)
ふとぶとと流れてゆく水は、どこをどう流れてどこへいたるのか。
都会で、一見華やかに暮らすものたちの、夢のゆきさきは……。
都市遊民ということばの、根のない、はかない感じに目がとまる。
そして、―を―を、と言いさしの形を繰り返す文体も、いわば脚をもたない。
形そのものが、たよりなげにたゆたうような歌のなかで、しかし、やはり川には流れるべく流れるものの、ある確かさがある。
その上に流れるあぶくのような人間たちの、そのさらに見る夢を思うとき……。
日本には古来から無常感があり、人間はしょせん有限のものである。だが、それも一つの「個」が抱く思いである。この歌の「都市遊民」には、その「個」の感じが希薄である。からっぽの「個」。からっぽの「個」の夢。
はかないというにも、あまりにはかない。