我が腕に溺れるようにもがきおり寝かすとは子を沈めることか

俵万智『プーさんの鼻』(2005年)

 

 

『プーさんの鼻』には、たくさんの子どもの歌が含まれている。その多くは、子を育てる喜びに満ち、あかるく、あたたかい。そんな中で、この歌はちょっと目立つ。

 

赤ん坊は大変に機嫌が悪い。一首前には〈いつまでも眠れぬ吾子よ花の咲く瞬間を待つほどの忍耐〉がある。親の方も寝かせるまでに、精魂尽き果てる、という情景。
「溺れる」「沈める」と、水に関わることばが出てくることが目にとまり、こわいと思わせる。

 

赤ん坊は、この世に出てきて日が浅いだけに、この世の世界に属しきらないところがある。属しきらないところは、ではどこに属しているのか。この世はわたしたちが生きているところ。とすれば、それは生きていないところ、死の世界に通じるところか。

 

生活の奮闘の場面にありながら、そんな赤子の、ある危うい存在感が一首を引き出したのか。

 

そして母はまた、無力な子に対して、生殺与奪の権利をもつ者である。それは、大いなる庇護者であることの裏返しだ。腕の中の子どもを静かにさせた「わたし」は、ふとそのことにも思いいたっただろうか。

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