〈燃えるゴミ〉の袋にたまる紙オムツわが父はもうだれにも勝てず

小島ゆかり『さくら』(2010)

 

 辛い歌である。

 しかし、作者は目を逸らさずに見つめる。

 老いて認知症になってしまった父、歯ブラシをえんぴつと呼ぶ小さな老人。

 

 もちろん、

・雲を見るやうなわたしを見るやうな もの言ふときの父のまなざし

のように詩的に仕上げて救いを待つことも可能だろう。そういう世界も小島ゆかりの美質である。

 と同時に、現実をじっと見つめて逃げないのも小島ゆかりの歌である。

 

 「父」という言葉には感情があり優しさがある。「紙オムツ」という言葉は即物的で優しさは無い。

 ここでは作者は、生身の父でなく、紙オムツを見ている。父の時間がゴミとして溜まってゆくさまを見ている。

 この人は父であるという救いの眼鏡をかけた目でなく、弱り切った老人の排泄物を裸眼で見ている。

 

 かつて自分を育て守ってくれた父が、今ではもう精神的にも肉体的にもすっかりすっかり弱り切ってしまっているのだ。子供が来て蹴飛ばしたとしても逆らえない。

 かえって死者の方が強いかもしれないほどだ。

 しかし、作者は目を逸らさない。現代短歌に何ができるかわからないけれど、この歌が誰を救うのか、何の役に立つのかわからないけれど、作者はこう歌う。

 歌人として現実を前にしたときの、ひとつの答えである。

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