風花の散るとき気づくパン抱きて俯き歩みゐしみづからに

大塚寅彦『ガウディの月』(2003)

 

 カザハナ、つまり晴れの日にどこからから運ばれてきてちらちらと舞う雪、は冬の季語にもなっている。それだけで雰囲気を出してしまう危ない言葉でもある。

 しんと冷えていたのであろう。作者は大きめのバゲットのようなものを抱いて家路を急いでいた。

 いつのまにか俯きつつ、ただ歩くだけの物体となってひたすらに歩いていたのであろう。それは幼い子供を守るようにも、またみづからの魂を抱きしめるようでもあった。

 何かを祈るような姿だったかもしれない。

 そこに風花が舞い、一瞬にして世界が開かれるように、自分の姿を(俗に言う、我に帰るという様子で)把握したのだろう。

 歌集の帯で桑原正紀が言うように、「大塚寅彦の作品は、繊細な感性が魅力的で、静かで、奥行きがある。」

 これも、そんな一瞬を宗教画のようにそっと優しく提示してくれている。

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