中城ふみ子『乳房喪失』(1954)
中城ふみ子は1922年生まれ。
三男一女の子の母となり、離婚し、作歌し、恋愛し、乳癌により両方の乳房を切除したが、回復ならず、1954年に死去した。
いろいろとセンセーショナルな部分もあるが、母親としての目線は純粋であった。
この歌、子供がラクダのコブに興味を持って、何か尋ねてきた。
厳密に読んでみると、初句「絵本に示す」はぎくしゃくしている。「絵本の中の」「絵本を示しつつ」という意味だろうか。子供の動作をそのままの語順にしたようだ。
あるいは、作者がこれはコブというのよと教え、子供がなんでこんな形しているのかと問うたとも解釈できる。
どちらも焦点は、瘤という存在のかなしさにある。
食べ物が得られない期間を体が予知してためてゆく脂肪分。太陽の熱を体から遮断する膜にもなるという。
ラクダは生まれながらに生きてゆくことの困難を背負っているのだ。そうした生き物の存在を子供に語るのは、世の中の悲しみを教えることでもある。それは悲しい。
人間として生まれた子供にも、これから先さまざまな困難が待っているはずだ。しかし、まだまだ深くは考えずに育ってほしい。そういう母親の心からすると、瘤の意義を教えるのも、瘤そのものも、かなしむ対象である。
一首あとに、
・スクーターの後ろに乗りし子が下さるるときに荷物の表情をせり
がある。ともに、純朴な子供の目のかなしさを見つめた歌だ。