栗木京子『万葉の月』(1999)
おそらく十代男子の寝姿。
この上なく無防備に寝呆けている姿であろう。
とにかく10代は眠い。だが、その時期を過ぎてしまった大人はそんなことをすっかり忘れ、眠り続ける息子(や娘)をからかったり叱ったりするのである。
この母親も半ばおどろき半ばあきれながら、子供の姿を観察している。
しかし、そこに詩を創造するのが歌人である。
人間はどこかからか明日に入るというイメージがある。
地面に引いてある白線をまたぎ超えるようなイメージや、体全体で壁を通過してゆくイメージもあるだろう。
この歌の場合、腕の形状に注目している。
腕という一本の棒状のものを明日へ向けて差しのばすように入ってゆくイメージは説得力があるのではないか。
眠っている間にするりと腕の先から明日の世界に滑り込む。若さをうらやむ気持ちもあるだろう。
リズム感もいい。なんどか音読してみれば呼吸がくみ取れるはずだ。
「子の腕よ・腕より」のあたりに少しひっかかりながら明日へ向かって前進するイメージを感じる。茂吉の「ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり」に似ているかもしれない。