われといふ瓶(かめ)をしづかに盈たしたる素水(さみづ)と思ふ、九月の君を

高島裕『薄明薄暮集』(2007)

 

 一連の恋の物語の中に置かれた一首。

 対象が実在するのかどうかの確証はないが、おそらく実在なのだろう。

 だが、そのことはこの一首には関連しない。

 

 好意を寄せる女性を「素水」と呼ぶ感覚にとても魅かれた。

 作者は、9年近く住んだ東京を離れ故郷の富山に帰った人。そのあとの歌である。もしかすると、その収穫かもしれない。

 

 多くの場合、好きな異性はこころを波立たせるものであろう。液体に譬えるならば、色もあり(赤や黄色か)、香りもあり(香水のような)、味もある(甘いかしょっぱいか)かもしれない。

 だから、この歌の女性のように、ただの水のようなごくごく自然な液体と言うのがいい。

 そう思える女性であり、そう思う男性であるのだ。

 自分という空洞の中にそっと収まってくれる水。しっとりと無理のない関係がいい。

 

 掲出歌は、

・はろばろと稲田を渡る風清(すが)し 夏越えてなほあなたを思ふ

・片恋と思ふあとから仄かにも意味に潤んだまなざしに遭う

の2首に挟まれている。

 ますます意味深である。

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