山川登美子『恋衣』(1905)
はっきりと意味がわからなくても、直観的に魅かれるのも、歌である。
それが多く人に説得力をもつ良さなのか、何かの感覚の作用で自分だけに響いてくる良さのかわからない。
この歌もそういう不思議な魅力がある。
薔薇が燃えるように咲き、その中に白い玉が響く。
白い玉とは、おそらく作者の心であり、たましいであるだろう。何か硬質の響きを返す物体のようだ。ピンポン玉とビー玉の中間くらいの大きさのガラスの玉のようなイメージ。
薔薇とは、表面上の恋のやり取りや実人生での病気をめぐる心の騒ぎかもしれない。
白玉は心の中にあって、ちょっとした外からの声や触れた手によって、小さな音を立てる。しかし、反響することによって、その中の大切な何かをかたくなに守っているのだろう。
そのしら玉は揺らぐとも言う。外からの影響を押し返しながら、それ自身も影響を受ける。
そういう、はかなくてけなげな白い玉を胸の内に持っているということではないか。
結句の「わが歌の胸」も難しい。
歌を作ろうとするときの胸の内、ということだろうか。
人間関係や自分の体のことでうまくいかなかった登美子がこれだけはと守ってきた「しら玉」。そのかたくなさを思えば、燃える薔薇に匹敵する強さを感じるのである。