母死にて四日泣きゐしをさならが今朝(けさ)登校す一人また一人

吉野秀雄『寒蝉集』(1947)

 

 巻頭の詞書きによれば、昭和19年夏に妻はつが胃を病み入院し、八月末に四児を残して亡くなったという。享年42。作者も42歳だった。

(戦中の年は西暦でなく元号で呼びたい感じがする。)

 『寒蝉集』は前半が、妻の挽歌。

 どの歌も、妻であり母であった大きな存在が現実生活からあっと言う間に消えてしまい、とまどい、嘆き、いや嘆くなんてもんじゃない絶望と、しかし目の前にある現実の相克を克明に読んでいる。

 一面識もない歌人の境涯に心を寄せるゆえに泣けるのではなく、文学としての骨格の太さに泣けるのだと、もう一人の自分が言う。

 他にもこの近くに、

・とむらひの後(あと)のあらまし片づきて飯米(はんまい)の借が少し残りぬ

・子供部屋に忘られし太鼓とりいでて敲(う)ちうつこころ誰知るらめや

・ますらをのわが泣く涙垂り垂りてなれがみ霊(たま)を浄(きよ)からしめよ

・酔ひ痴(し)れて夜具(やぐ)の戸棚をさがせども妹(いも)が正身(ただみ)に触るよしもなし

などなど、引用に切りのない挽歌の秀歌が並んでいる。

 その中で、掲出の一首は、学校に戻るということが日常への復帰であるという、わかりやすい構図をもちつつ、結句の「一人また一人」によって、こぼれおちる悲しみの姿を目の前に見せている。

 静かゆえさらに哀切な歌だ。

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