はさみで切って使いきられたねりからしチューブみたいな俺を愛せ

笹井宏之『ひとさらい』(2008年)

 

 

何であれ、チューブに入っているものは、絞っても絞っても使い切れない。
きれいに使い切ろうと思うと、この歌のように、鋏で切って中を拭いとるしかない。

 

そのようにされた「俺」。
いったい何によって。

 

もともとはそれなりの辛さをもって、一応黄色という、まあ明るい色をしたからしがいっぱいつまっていた「俺」。
元にしても、そうたいしたものとして思われていないのだけれど、しかしここに描かれた絶無の感じは痛々しさを超えている。人間が抱くからっぽ感にあるはずの、何かしらの人間の感じがまるでない。

 

そんな「俺」を「愛せ」「という。
不可能。
そこには、愛の生まれうるものが何もないのだから。

 

「愛せ」には、それでもなお、一縷の望みにかけるという思いが含まれているだろうか。

たぶん、それさえ、ここにはない。

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