どこに行けば君に会えるということがない風の昼橋が眩しい

永田紅『日輪』(2000年)

 

 

・ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挾んだままのノート硬くて
・対岸をつまずきながらゆく君の遠い片手に触りたかった

 

「君」はどこにいる?
喫茶店、河原、それともまだ教室?
ふだんは、だいたい今頃はこのあたり、と想像がつくのだろう。

 

今日、「君」のいるところは見当がつかない。
そんな日にかえって、ふだんの自分の心の状態に気付くのかもしれない。
必ずしも会えなくてもいいのだろう。

 

今日は一限にちゃんと出たかな、お昼は何食べてる? 自転車をひきながらあの建物の角を曲がる頃……。
そんな風にして一日の内、何度か「君」の姿を追い、確かめるような時間の連続が、「君」に〈わたし〉をつないでいる。そして〈わたし〉をどこか強くしている。

 

でも今日は、思いの及ぼしようがなく、〈わたし〉はどこにもとどまってみることができない。
そういう心に橋だけがきらきらとまぶしい。

 

四句へまたがった「ない」は、句切れを意識する時、下句の先頭にくることによって強調される。

 

「ない」、無が、一首の要となりつつ、「ない」からこそ、こよなく橋は輝き、その物体感がまた、心のあてどなさを引き立てる。

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