デッサンのモデルとなりて画用紙に十字よりわれの顔は始まる

花山周子『屋上の人屋上の鳥』(2007)

 

 美術大学出身の作者。

 ただし、これは題詠「十字」から導き出されたもの。「題詠マラソン二〇〇五」の収穫である。

 題を自分自身に結びつけたところがいい。

 

 デッサンで人の顔を描くときはまづ十字を描いて各パーツの位置の目安をつけるのだろう。描かれている手元が見えているのか、いつも自分がしていることだから知っているのかはわからない。

 ともかく、自分の顔が、デッサン上のことだといえ、ゼロから構築されてゆく原初の瞬間。一人の人間が創造される(おおげさにいえば受胎する瞬間のような)荘厳なイメージさえある。

 

 状況がきちんと説明されているのもいい。どうしてそんな状況にあるのか、描いているのは自分なのか他人なのか、どこに描かれているのか、過不足なく書き込まれている。

  そういうしっかりとした助走があってこそ、最後の「われの顔は始まる」というシャープなフレーズが生きてくる。

 画用紙という力のある音を含む言葉も現実の感覚を濃く出すのに役立っている。試しに「画用紙」を外してしまえば、骨のない一首になるのがわかるだろう。

 こういう細部の骨太さが花山周子のいいところである。

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