風鈴の音の通りたるみずいろの穴見ゆ闇のところどころに

広坂早苗『夏暁(なつあけ)』(2002)

 

 短歌は定型で読むべきものだから、この初二句は「風鈴のネの通りたる」と読む。

 歌を読み慣れない人(あるいは定型音痴な歌人)は、平気で「オト」と読む。(そう読んでおかしいと思わない歌人もいて驚く。)

 もし、定型を外して「オト」と読ませるような場合には、作者はルビを振るべきだし、そうなっているものだ。

 短歌を読むとは、そういう約束事を獲得してゆくことでもある。これには少し時間がかかる。

 

 それはさておき。

 現代は、聴覚より視覚の時代だと言われる。

 100年前との比較を想像してみても、日常の騒音は増え、テレビやパソコンなどの目を酷使する生活を強いられるのが、現在である。

 だから、歌も聴覚が衰えて、視覚に偏りがちである。

 

 それはさておき。

 この歌の場合はこれで良い。

 本来、聴覚であるものを視覚に転換しているからだ。

 夏の夜の闇の中を、風鈴の静かな音が通り抜ける。そのとき、音は(小さな)穴を開けてゆく。それも水色にほのかな光をたたえるように、であろう。

 アニメイション映画のひとコマを思わせる。

 作者は、その穴をぼんやりと見つめている。あるいは、目は閉じながら、心で感じているのかもしれない。そして、すでに消えてしまった風鈴の音を思い出しているのだ。

 そして、少し涼やかな気持ちになって、おだやかな眠りに戻るようだ。

 こういう歌をを思うと、すこし涼しく感じませんか。

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