あせたる を ひと は よし とふ びんばくわ の ほとけ の くち は もゆ べき もの を

会津八一『鹿鳴集』(1940)

 

 

 『鹿鳴集』は、先行する2冊の歌集にそれ以降の作品を合わせて編まれた歌集。著者六十歳(数え年)での出版。

 ひらがなの分かち書きによってゆっくりと暗号を読解するようなペースで読み進めるようになっている。はじめは読みづらいかもしれないが、徐々にその独特のリズムに沈み込むような感覚を得られる。

 

 「褪せたるを人は良しとふ頻婆果の仏の唇は燃ゆべきものを」

と表記しても、内容の良さは変わらないが、呪文のような歌の力は無くなってしまう。

 「鹿鳴集」には、のちに自身で注をつけた『自註鹿鳴集』(岩波文庫)がある。

 それによると、〈びんばくわ〉とは、「印度の果実の一種にして、その色赤しとふ。」などと詳細に書かれている。

 経典によると、仏陀は、「脣色ハ赤紅ニシテ頻婆果ノ如シ」 であったという。

 また、八一は

「さてこの歌の心は、世上の人の古美術に対する態度を見るに、とかく骨董趣味に陥りやすく、色褪せて古色蒼然たるものをのみ好めども、本来仏陀の唇は、赤くして輝きのあるがその特色の一つなるものを、といふなり。

と書いている。

 美術に対する好みは、ある種の刷り込みの成果であるに違いない。そのあたりに、独自の見方を主張した作者。

 ある意味でルネッサンスのような肉体感を歌に載せてじんわりとしかし強く言ったところに魅かれる歌である。

 

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