吉川宏志『青蟬』(1995年)
夕方になってしだいに暗くなってくる。
そんな中、窓にあかりがぽつぽつと灯りだす。
あかりがつくのが夕闇に少し遅れるというのは、確かにその通りでありそうで、実は見ている方の感じ方なのだろう。まわりが暗くなるので、あかりが際立つのだ。
こう言いきってしまうこと、そして窓に灯るのではなく、灯ったその一つ一つが窓であるとうたうこと。
一読すっと入ってくる自然さをもちながら、表現に詩的角度がある。
なだらかなうたいぶりの最後は名詞でとめられ、しずかな余韻を残す。
灯ったその一つ一つが窓であるという、一般とは逆方向の認識の仕方、感受は、どういうことを伝えようとしているのだろうか。
そこに自分と同じ人間が、今を生きて生活している、というこの時分特有の人なつかしさのようで、何かしんとした所がある。地上をさびしむようなまなざしといったらいいだろうか。
「ひとつひとつ」に立ち止まる、そのまなざしには、人が生きていくことに対する何とも言えない思いが感じられ、胸の奥がきゅっとなるような抒情がある。