助走なしで翔びたちてゆく一枚の洗濯物のやうに 告げたし

石川美南『砂の降る教室』(2003)

 

 風にあおられて、洗濯物が飛んでゆく。

 (洗濯物、という言葉は考えてみるとおかしな言葉だなあ。)

 

 Tシャツなのかタオルなのか、あるいは大きなシーツを想像してもいい。

 それは、まったく助走なしに、これから飛びますという素ぶりさえ見せないかもしれない。ただ、思い立ったように、今いる地点からとりあえずふらりと飛びたつ。

 ハンガーとか洗濯バサミとかの拘束を嫌がるふうでもなく、持ち主に恨みがあるふうでもない。

 (実際には近くに落下すはずるのが、それでは物語にならない。絵本の中の風景のように、町を越え、山を越えて飛んでゆくシーンを想像するのがいい。) 

 

 という洗濯物を思わせておいて、結句で「告げたし」と置く。なかなか巧みだ。

 読者は、自分なりの「翔びたつ洗濯物像」を描いているから、ただそれに告白の風景を重ねればいい。

 衝動的というほどの劇的さでなく、気まぐれというほどの軽さでもない微妙なエネルギーの加減。

 それを伝えるために長い比喩があるのだ。

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