さらさらと真水のような飲み物を飲み終えて今日も齢を取らない

松村正直『駅へ』(2001年)

 

 

いつの頃からだろう。甘いジュースが嫌われ、さっぱりとした、それこそ水に近い飲み物が好まれるようになった。そして飲み物を手放さないようになった。

人が渇きやすくなったのだ。たくさん飲むには、味の濃いものは向かない。「さらさらと」流し込む必要がある。

渇くのはしかし、物理的なことだけではないのだろう。
わたしたちはどこへ行くにもペットボトルを携えるようになったが、飲み物を常にそばに置きたいことには精神的な渇きも反映されていよう。

 

掲出歌、なぜ齢をとらないのだろうと思いつつ、「今日も齢を取らない」のフレーズは、それまでの歌の流れに実にぴったりくると感じる。
思えば、齢をとるということは、時間、経験の積み重ねの結果である。何かしらの内実のあらわれである。
希薄な飲み物を飲む者は、希薄なままに齢をとらない。
「今日も」といわれることが、ことさらかなしく響く。

 

あるいは、この歌は、飲み物の傾向とともに、齢をとりたがらない今の人たちの姿を写しているのだろうか。
ごくうわべの溌剌さ。その脆さ。

 

いずれにしても、齢をとらない人は、表面を美しく保ちつつ、内部からさらさらになって、やがて消えていくようだ。

 

わたしたちの生きている時代のことが改めて思われる。

・しゅんしゅんとお湯の沸き立つ音がして遠くの町で僕が目覚める

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