みんみんといふ蟬のこゑ身にしみて聞きゐし午睡(ごすゐ)以前の世界

佐藤佐太郎『帰潮』(1952年)

 

 

いともなだらかに読んでくると、突然「午睡以前の世界」というフレーズに突き当たる。
ああ、蟬が鳴いているんだな、それが身にしみて、そして「聞きゐし」とあるから、これは過去のことなのか、と歌を辿ってきた頭にこのフレーズは、結構な衝撃を与える。
つまり、初句から述べられてきたことは、昼寝をしていた、それ以前のことだったというのである。
「午睡以前の世界」というところで、二段階に時間が飛ぶ。しかも遡るので、読んでいる意識が揺らされる感じが激しい。

 

こういう、大変アッピールのきつい個所が用意されているからこそ、「みんみん」という平凡すぎるぐらいの擬音語で始められているのだと改めて納得する。

 

今は、昼寝からさめた、まだ半覚醒の状態であってみれば、蟬の声を聞いていた一つの経験は、眠っていた時間を飛び越えてひとつづきのように感じられているのかもしれない。眠りの間、時間はあたかも消滅していたような。
しかし、眠っている意識のなかでも聞いていたかもしれない。
そして、この蟬の声は今も続いているのか、いないのか。続いているとしたら、現在はどう聞くのか。
あるいはまた、昼寝からさめて、ずっと後から思い出しての歌という可能性も残される。そこには、「午睡」というものが、時間の裂け目のように横たわる。

 

蟬の声と時間とが、なんともいえぬからまり方をして、いつまでも胸に残る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です