上野久雄『冬の旅』(2001年)
引越しの最中、雑然とものがちらばる中に、ふと目にしたペンケース。
そこには妻の旧姓があった。
夫婦別姓の人も増える今、旧姓という語自体が一時代前の雰囲気をもち始めた感もある。
ともあれ、そこから自分と生活を共にする前にあった、妻の人生がふと思われた場面。
これを使っている頃、妻は毎日どんな風だったろうか。
若い女性らしく、よく笑ったことだろう。泣く日もあったはず。どんなことで?
ペンケースであることから、書いたもののこと、あるいは読んでいただろう本のことなどにも想像が及んだかもしれない。
だが、今、自分の最も近くにいる人は、そこにまるで見知らぬ人としてある。そのあまりの不連続の感じに立ち止まる。
そして、思ったのではなかったか。
妻の人生は、自分といっしょになることでよかったのかと。それは、俗にいう幸せ、不幸せの問題より、もう少し深いところにおいて、一つの別個の人生を、他ならぬ自分がその途中から決定的に色づけてしまったことに対する畏れのようなものではなかったか。
片付かない引越しの荷物の中で、妻の人生の歴然たる変化について、このペンケースはより迫るところがあったのではないか。