子らははや遊びを止めて色赤きビニールプール西日に乾く

米田律子『滴壺』(2006年)

 

 

子どもたちは、すでに遊び疲れてお昼寝でもするのか。
さんざんに賑やかだった、水遊びの音、声。
それらはいつの間にかなく、目をやればただビニールプールが干されているばかりである。
その赤さが、傾きはじめたといえどもなお強い日の光と、競い合うようだ。

一息つける夕ぐれがくるまでには、まだしばしある時間の中の、夏ならではの静寂。

 

子どもは、大人よりも自然と関わりの深い存在だ(べきだ、と今はいうべきか)。

 ・傘なくて難儀さばかりならぬゆゑ歌ひて帰る少女三人は
・虫籠に虫を欲りする子とあれば耳澄むにより昼の虫鳴く

 

「少女」を通して、あるいは「子」と共にあって捉えられた季節の感じが際やかだ。
なればいっそうのこと、その者たちの生きていくべき時代に対する「憂ひ」は深い。

 

・稚(わか)ければ憂ひなき子にもの言ひて憂ひあり力のもはらなる世は

 

この作者ならではの歌のたたずまいの中に、伝えられようとすることを重く受け取る。

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