花山多佳子『樹の下の椅子)(1978年)
夢に半分開いているドアを見る。
それがこわいという。
閉ざされているでもなく、開ききっているわけでもない。何か見えるものがあるにしても、全部は見えない。それとも、特に見えるものはないのだろうか。
「半開き」ということに、ひきよせられる心がこわいのかもしれない。「半開き」ゆえに、覗いてみたいような(そこには見てはならないものを見てしまうかもしれぬ怖れと期待がないまぜにある)、あるいは、よりきちんと開閉を促す、ただそれだけであっても、ともあれそこへ近づいていくことを誘う、そのあり方におびえるのか。
「空間に」という始まり方も妙に安定感を欠く。
そして歌の最後にいたって、「半開きの扉」は「時に」であっても、「現実」のものとして登場し、夢と現実はこの判然としない怖れによって、奇妙につながれる。
・開け放されし扉の向こう眩むほど陽ざしは強し見まじとすれど
・閉ざされし厚き扉の向こうには熱く大きなけものが歩む
開かれたり、閉ざされたり、中途半端にあいている扉たち。
〈扉〉という一線によって守られながら、そして守られていることを知りつつ、〈扉〉の向こうへ魅かれやまない魂のかたち。