睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月

大塚寅彦『声』(1995年)

 

きりんは背が高い。
だから頭も高い所にある。
だから見る夢も高い所にあるだろう。

しごくまっとうな連想のようで、「首の高みにあらむ」と言われる時、「夢」はふわあっと浮きあがるようである。
もともと重量があろうとも思えぬ夢というもの、それが、えもいわれぬ感じで浮きあがる。

 

そこに夜が明けはじめる頃のほの白い月が重ねられる。
この「月」と「夢」の親和性。
ふと二つは同じものとして重なりながら、睡るきりんとしろい月の並ぶ景があわあわと美しい。

 

四句でいったん切って、「あけぼのの月」と置く手つきが、まことに丁寧で、こわれものをそっと置くようだ。

淡く、繊細、そして幻想的。

 

・華なしてフラミンゴ睡る群生のなかうらうらと乱れ歩まな

・象の皺ひとつひとつの記憶せる遥けくわれらの喪ひしもの

・音楽のごと丈たかき骨格をさらして立てり滅びたる種は

洗練のなかに、長い時間を含んだしずかな思索がある。

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