七回忌の姑(はは)夢に来て機嫌よしなぜか私も死にたくなりぬ

石川不二子『ゆきあひの空』(2008年)

 

 

死にたくなる、まずほとんどの場合、暗いマイナス方向の意味でつかわれる言葉だ。
それが、ふんわりとした、むしろ気持ちのいい歌になっている。

 

実はわたしの姑も、「あの世ゆうたら、ええとこや思うで。せやかて、だあれも帰ってきた人おらへんがな」(香川の人なので、大体こんな言い方になる)などと言う。

 

「機嫌よし」がキーになって、この世とあの世がつながっているから、あちらの世界は、とりたてて正でも負でもない、地続きの良さそうな所に思える。

 

そういえば、「機嫌よく生きることが、いちばん天の意にかなうこと」と言った人もいたな。
なんてことなく見えるうたいぶりの中に、生に対する、死に対する、深い思索が含まれていることを感じてくる。

 

それにしても、一般的に人が死にもつ構えを、やんわりと、しかしあっけらかんと無化してしまうのはさすがである。

 

・六十代が花ぞといふにあわてたり我に残されしあと八ケ月

・西さしてゆく飛行機の一つ消えまた一つ短き雲の尾をひく

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