朝ごとに光のほうへ右折するバスの終点に行きしことなく

遠藤由季『アシンメトリー』(2010)

 

 乗ってきたバスだろうか、家の前を通るバスだろうか。

 作者はバスが「光のほう」(つまり東だろうけれど)に曲がって見えなくなってしまうのを毎朝見送っている。

 路線バスであろうから、広い範囲を走っているわけではないだろう。終点の地点へは、行こうと思えばいつでも行ける距離内にあると思われる。

 しかし、現実には、朝日が輝いている未知の場所はとてつもなく遠いのだ。

 われわれはあちこちへ移動しながら日々を過ごしている。しかし、どうしてもたどりつけない場所があるのかもしれない。それは距離とか気持ちではなくて、もっと大きな力の作用を受けているような感じで。

 という解釈は、「右折するバス」というつながりに基づいたもの。

 結句が「行きしことなし」ならば問題ないのだが、「行きしことなく」となっているから、「右折する」が終止形の可能性も残される。

 とすると、バスから降りた自分自身が光のほうへ右折する、という解釈になる。まあ、徒歩ではふつう「右折する」とは言わないだろうから、冒頭のように解釈した。

 きちんと終っていない歌の解釈は少し怖い。

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