初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消えゆく

与謝野晶子『白桜集』(1942)

 

 晶子の最終歌集となった『白桜集』には、夫・鉄幹への挽歌が多い。夫の死を通じて、命というものを改めて問うた歌集である。

 霧にさえ命を感じて、命を持ってしまったものの苦悩を言う。

 霧を対象にするところがだいぶ飛躍のある発想だ。命は悩ましいものであり、最初からその命を持たず、いつの間にか生まれていつのまにか消えてゆく存在への羨望ともいえるほどの狂おしい認識。

 もちろん、それは一般的には肉体を持ち、命を持ってしまった人間に対しての物言いと考えられる。だが、この一首からは、他の人間や動物を含めて考えるほどの余裕はなく、ただ、鉄幹と自分だけが命を持つ者の代表として、「霧」に向き合っているような印象がある。

 

 『近代短歌の鑑賞』(小高賢編・新書館)で、日高堯子は、『白桜集』について、

虚飾のない述志の歌でありながら、その孤独の表情にはやはり晶子独特の艶がある。また、自然が多く詠まれ、自然の相を通して生と死、この世とかの世の言問いがなされていることも特徴である。

と述べている。

 もちろん、近代短歌の文体の規律正しさに説得される部分もある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です