来嶋靖生『梟』(2009年)
大きくなったら、ただ生意気なばかり、世話になったことなど、何も覚えていまい。
と、えらそうに言っているが、実は「われ」がベビーカーを押したりするのは、「時には」。
この正直さがいい。
何も書いてなくても、これはまず、おじいちゃんの歌だろう。
だいたい、おばあちゃんなど、それこそ献身的に子の世話をする人が、上句のような嘆きをする資格がある。
そもそも大したこともしていないのに、大上段に嘆いて見せて(文語の格調の高さが効果的)、「時には」でいきなり失速するところに、おかしみが生まれる。
もの馴れない様子で、ベビーカーを押している姿が目に浮かぶ。
憮然としているようで、でもうれしげで、微妙なところがよく出ている、いい歌だ。
ありがとうございます。あたたかい鑑賞で感謝しています。その子も3年生になりました。
来嶋さま
コメント、うれしく拝読いたしました。まだ、3年生でいらっしゃるのですね。まだまだかわいい時ですね。
中津昌子
あたたかい鑑賞をいただきありあとうございます。その子も3年生になりました。