寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚(たこ)逃げてゆく真昼の光

北原白秋『雲母集』(1915)

 

 白秋は、姦通罪の理由となった松下俊子と大正2年に再開。同居を経て、一家で三浦三崎へ移住する。その後、俊子の結核療養のために小笠原父島に渡るまでの9ヶ月間の三浦生活を基にした作品が『雲母集』である。

 堂々と、原始的な生の喜びと寂しさをうたった歌集の中で、その両者が混ざり合ったこの歌は特徴的である。

 

 「海底」のタイトルにさらに「庭前小景」の詞書がある。

 寂しさを抱えて海を覗きこんでいる。すると、それに気付いたタコがあわてて逃げてゆく。タコのいなくなった水面にはまひるまの明るい光が反射している。それを見つめている。

 「あはれあはれ」の使われ方がこれ以上ないほどの絶妙さである。

 海をのぞいてぼうっとしている時間が「あはれあはれ」と引き延ばされている。そして、その「あはれあはれ」を引き継ぎながら、タコが全身を横に長く引っ張りながら泳ぎ去ってゆく形象も連想させる。

 この「あはれあはれ」によって、「寂しさ」が直線的で伸びやかに開いてゆく印象が与えられている。つまり、「寂しさ」が海と海の光に溶けてゆくようなイメージで、白秋の癒されてゆく時間がうまく表現された一首であると思うのだ。

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