水上芙季『静かの海』(2010)
その人の声を聞くためだけに会話をする。
究極の相聞歌ではないか。
内容はなんでもいい。仕事の話でも、台風の話でも、日米関係の話でもいい。上司の愚痴だっていいし、キンピラゴボウの話だっていいのだ。
電話での会話のシーンだろうか。
ただ、その人の声を聞いて、声に包まれたい、という気持ち。それはつまり、その人を全面的に受け入れる気持である。
自分の中のどこかに欠けている部分があるような気がするとき、異性の包容力が欲しくなる。そのとき、異性のどこを思い出すのか。
顔や髪はもちろん、手や腕や指や、肩や鎖骨や首すじなどもあるかもしれない。その中には「声」も入る。
高野公彦『水行』に、
・わが肉に入りてひろがるやはらかき女性性器官の一つかな〈こゑ〉
がある。男性が女性の声を思うなら、女性が男性の声を思うこともあるだろう。
「ああさうだ」と勢い切って歌いだし、「思うためそのためだけに」と急流を堰き止めてから、一気に流れを解放するようなリズムもいい。
他にも、
・記憶よりずいぶん前に君のこと気になつてゐる日記のわれは
・ああ電話ボックスが欲し片恋の君にはじめて電話するには
・このビルの建設着工日を言へるその日は君の誕生日ゆゑ
・「もしもし」で言ひたいことがわかる君そしてわたしもわかる春の夜
など、既存の言葉に縛られない、新しい相聞歌が多くある。
大きく期待できる新人である。