曇天のくもり聳ゆる大空に柘榴を割るは何んの力ぞ

浜田到『架橋』(1969)

 

 言葉が過剰すぎる、破調が多すぎる、ネガティブ表現が多すぎる、というのが筆者が浜田到を苦手にしてきた理由。

 そういう作品のなかでは、これは格段に理解しやすい歌。この程度の簡潔さなら理解できる。しかしそればかりでは浜田到ではないのかもしれない。

 

 ザクロにはどことなくエキゾチックなイメージがある。

 夏から秋にかけて熟し、秋には割れる(開裂)。もちろん、自然の現象であるけれど、もっと大きな力で作用しているのではないかと見るのは自然な流れである。

 ザクロは秋の季語でもある。「くもりが聳える」は、真夏に積乱雲がまさに「聳える」感じで勢いを増してゆくのとは違うだろう。このあたりが、浜田到のわかりにくさのひとつかもしれない。

 通常なら「くもり覆へる」とするところだろうか。

 

 それはともかく、ザクロが割れるまえの曇天にじりじりと注意を集めてゆき、読者に軽いストレスを与えるところがいい。

 そこから見える種や、甘酸っぱい香りなどを含めて、一つの緊密な詩的世界なのだ。

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