奥村晃作『男の眼』(1999年)
読んで、エッと思った。
電車の座席の場面だろうが、こういう時は、少しでも多くの人が座れるよう、できるだけ詰めあって座るのが礼儀ではないのか。
しかしこの歌を読むと、そうか、こういう考え方だってあるよな、と思うと同時に、自分が詰めあって坐るべしと深く刷り込まれ、それを疑っていないことに気づく。
何の疑問も抱かずに、身を縮めている自分に気づく。
そうだ、立っている人だって、別の機会には座ることもあろう、辛そうな人には席をかわってあげるとして、せっかく座っている者はゆったりとしたらいいじゃないか。
時には、広く座席を占めている人に目を三角にしたりして、なんとせせこましいことだろう。
近頃では、座り方に注意を促す車内放送まであったりする。
ああ、小さなわたしたち。
たぶん実際に電車のなかでこの歌のような態度をとるかどうかということではない。
一首のよさは、乱暴なことば遣いも交えて、言われるがままに小さく固まろうとする“常識人”の心を解放するところにある。