山いもをすすりあげたる口もとと何の脈絡もなく塔がある

岡井隆『X―述懐スル私』(2010)

 

 一連20首の後に「9月20日朝日カルチャーセンターにて朗読、題詠東京タワー」とある。

 だが、歌の中に「東京タワー」という言葉は避けてある。このあたりが、岡井隆の美学なのだ。

 ただし、タイトルが「塔を見にゆく」であり、愛宕通りとか、増上寺とか地名があるから、推測できるようになっている。

 そのあたりが、岡井隆の配慮なのだ。

 一首目の、

・男には夕ぐれを待つ病ひがある夕やみよ来よ塔を包みて

が置かれる。ダンディズムの極地のような岡井調である。いいなあ。

 そのあとも塔と付かず離れずの歌が並べられ、掲出歌に至る。

 山芋の長細い形状と、そのすりおろした白を椀から持ち上げたときの円錐形に近い形状が隠し味になっている。

 しかし、しょせん、世の中なんて〈脈絡〉のないもの同士の不思議な繋がり合いなのだ。

 東京タワーを見に来たといって、自分とタワーの間には〈脈絡〉はないし、もちろん、自分が選んだ(であろう)山芋とタワーの間にも〈脈絡〉はない。

 ただ、その脈絡のない者同士が、触れあうときにしづかな火花が散り、その火花が美しいのだ。

 短歌というのは、そういう小さな火花を大切に見せる文芸なのであろう。

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