喪主として立つ日のあらむ弟と一つの皿にいちごを分ける

澤村斉美『夏鴉』(2008)

 

 遠い時間を見ている歌。

 しかし、その時間はかなりの現実性を帯びている。

 

 自分は結婚して実家を離れる。そういう社会規範の中から抜け出さないだろうという予感はある。

 そして、弟が家を継ぐだろう、少なくとも、両親の葬儀のときには、という予感もある。

 

 時間は目には見えないけれど、じわりじわりと世界を進めている。自分も弟も平等に年をとり、今はまだ頼りなさそうな弟も、時間に押し出されるように役割を負うようになる。

 そのときのワタシはどうなっているのだろうか。

 別の人生を進んでゆく姉と弟が、この瞬間に苺を分け合って食べているのは、奇跡的なめぐり合わせなのだ。

 そういう、時間と肉体と人間関係の摂理のようなものを直感したところがいい。

 

 『夏鴉』の歌は、おもしいのだけれど、多くは狙いすぎ、構えすぎ、ひねり過ぎ、で観念がにじみ出すぎているような気がした。

 この歌のように、もっと素直に、一瞬の言葉をそのまま出した方がいいのではないかと、筆者は思う。

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