渡英子『レキオ 琉球』(2005)
作者には沖縄在住だった時期がある。
あとになってみてはじめて「時期がある」と振り返ることができるもの。あるところに住んでいるときは、生活の時間の全てが(つまりその空気全体が)その場所に浸かっているのだ。
それが沖縄という、本州出身者にとって「異文化」の土地ではなおさらだろう。
部外者という立場で、沖縄の文学の歴史と琉歌を研究し、のちに『詩歌と琉球』を書きあげた作者である。
東京在住の私にはもちろん、多くの人は輸送機と爆撃機の音の区別など分からないだろう。もしかすると、目視してもわからないかもしれない。
それほど、多くの日本人の生活は軍の行動と切り離されている。(それは幸せなことだ。)
しかし、たびたび報道されているように、沖縄に占める米軍基地面積の割合、他府県と比較しての沖縄にある米軍基地の割合はずば抜けている。
現地の方々は、本来聴き分けられなくてもいいはずの、ふたつの軍用機の騒音を聴き分けることができてしまうのだ。
その「できてしまう」ことの悲しさを言うだけで、静かな体制批判になっている。声高に言わないからこそ、かえって寂しさは深い。