ムンクの絵〈叫び〉を〈あくび〉と改名す女子高生はただものでない

喜多昭夫『青霊』(2008年)

 

 

誰もが知っているあの絵。
耳に手を当て、口を開けているあの絵。
題名からも絵自体からも、強い不安を感じさせ、わたしはどうも好きではない。
無性にこわくなるのだ。
絵を見る時にまで、そんな思いにさせてもらわなくていい、そう思ってしまう。
でも、今ちょっとゆっくり考えてみると、丁寧に観賞もしないで、逃げるように目をそらせ、浅い第一印象にはまり込んでいることに気づく。

 

そんな自分に比べてみると、この「女子高生」、確かに「ただものでない」。

ここは、いまどきの「女子高生」なるものという感じで複数を意味しているのかもしれないが、そうであっても、わたしは最初に口に出した一人が気にかかる。

〈叫び〉とタイトルが示されようと、口を開けているんだもの、〈あくび〉だっていいよね、という訳である。

 

何かこわいものに蓋をするべく、あえて名を変更してみるということはありうるが、ここでは違うだろう。
もっとラフに“ケンイ”を無化している。
たいして考えた訳ではないだろうし、底のところで“ケンイ”につかまっているからこそ、独自の角度でかわしてみせたのかもしれない。

それとも、もっとだるいような気分を底においてこの「改名」は受け取るべきなのかも。

 
破格の「改名」にいろいろ思ってみるが、いずれにしても、“オトナ”の硬直した頭を打ち砕く力がある。

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